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高麗の里

私の当地に関する知識といえば、高麗が高句麗の渡来人ゆかりの地であるということ。
西武池袋線高麗駅を出ると「将軍標(チャンスン)」と呼ばれる朝鮮半島の魔除けの道祖神が立っています。
天下大将軍と地下女将軍という男女一対の像です。
独り言だけど…男女なんだ…これでも(ポツリ)。Koma1〈ようこそ高麗郷へ〉
1.
紀元前37年から668年。朝鮮半島北部から中国東北部は「高句麗」という巨大な国が支配していました。しかし、唐と新羅の連合軍との戦いに敗れ、多くの高句麗人が海を渡り日本へ難を逃れました。

2.日本へ多くの渡来人がやってきました。日本では高句麗のことを「高麗(こま)」と記し、彼らのことを「高麗人(こまびと)」と呼びました。高麗人は、東国7国【駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総(千葉)、下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)】にも住んでいました。

3.当時の政権の大和朝廷は、716年武蔵国に「高麗郡」を置きました。東国7国に住んでいた高麗人達1799人は高麗郡に移住しました。高句麗の王族であり、すぐれた人物であった「若光(じゃっこう)」は、高麗郡の郡司を命ぜられ、郡を納めました。当時、未開地だった高麗郡内を開拓して、産業を興すなど、人々の生活を安定させました。彼らはそこで、生活の基盤を整え、役所の建設や道の敷設など、郡として必要な整備をしていきました。
Koma2
高麗駅から少し下ったところにある台の高札場。Koma3高麗では所々にこの将軍標を模した同標が立ち、道しるべとなっています。Koma4こぼれ曼珠沙華。Koma5
路傍を彩るコスモスの群れ。Koma6Koma7その足元にも曼珠沙華が!Koma8巾着田まで行かなくても、私にはこれで十分。
高麗川に架かる赤い鹿台橋の欄干にも曼珠沙華が。Koma9折しも川に入って釣りをしたり、水遊びをしている人たちの姿あり。
日ざしがちょっと暑いので、川に入ると涼しいだろうなあ。

この橋を渡ったすぐ先に、阿里山カフェがあります。

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